『翻訳をあきらめるな!!』
AI時代、翻訳はAIに駆逐されるのではなく、AIをパートナーとして活用していく時代
―出版翻訳はもちろん、産業翻訳においても、翻訳者の価値はさらに高まる―
一般社団法人 日本翻訳協会 代表理事
バベル翻訳専門職大学院 元副学長
堀田 都茂樹
「AIがここまで進歩したのだから、翻訳家はもう必要ない。」
近年、このような言葉を耳にする機会が増えた。しかし私は、この見方は翻訳という仕事の本質を理解して
いない、極めて表面的な議論であると考えている。
確かにAIは驚異的な速度で進化している。数秒で数千字を翻訳し、多くの言語に対応できるようになった。
産業翻訳の現場でも、出版翻訳の現場でも、AIはもはや欠かせない存在になりつつある。
しかし、それは「翻訳者が不要になる」ということではない。
むしろ逆である。
AIを最大限に活用できる翻訳者こそが、これから最も求められる時代なのである。
AIは翻訳者ではない。優秀なアシスタントである。
私はAIを否定しない。
むしろ積極的に活用すべきだと考えている。
AIは膨大な知識を持ち、翻訳速度も人間をはるかに上回る。しかしAIは、「何を伝えるべきか」「どう伝えれば
相手の心に届くのか」を最終的に判断することはできない。
文章には背景がある。
文化がある。
著者の人生がある。
出版社の編集意図がある。
読者の期待がある。
それらを総合的に読み取り、一つの作品として再構築することこそ、翻訳者の仕事である。
AIは優秀な助手にはなれる。
しかし作品の責任者にはなれない。
だからこそ、人間の翻訳力はこれまで以上に重要になる。
AI時代だからこそ「翻訳文法」が必要になる
バベルは創業以来五十年以上にわたり、翻訳を単なる語学ではなく、「理論」と「技術」として体系化
してきた。
その集大成が「翻訳文法」である。
翻訳とは辞書を引くことではない。
原文を分析し、
意味を整理し、
文化を理解し、
読者に最も伝わる形へ再構成する技術である。
この基礎が身についていなければ、AIが出力した翻訳の善し悪しを判断することはできない。
AIは答えを出してくれる。
しかし、その答えが正しいかどうかを判断するのは人間である。
翻訳文法を学んだ人だけが、
AIを「使われる側」ではなく、
「使いこなす側」になれるのである。
AI時代は「翻訳力」が競争力になる
これまで翻訳者は、自分で一文一文訳していた。
これからは違う。
AIが下訳を作る。
翻訳者はそれを磨き上げる。
必要なら全面的に組み替える。
作品として命を吹き込む。
つまり競争は、
「速く訳せる人」ではなく、
「より良い翻訳を設計できる人」
へと移っていく。
これは出版翻訳だけではない。
企業のマニュアル、
契約書、
医療、
観光、
IT、
特許、
行政、
あらゆる産業分野で同じである。
翻訳の仕事は減るのではない。
仕事の内容が高度化するのである。
出版翻訳の未来は、むしろこれから始まる
私は特に出版翻訳の未来に大きな希望を持っている。
世界には、まだ日本に紹介されていない名著が数え切れないほど存在している。
哲学。
歴史。
医療。
教育。
ビジネス。
心理学。
児童書。
自己啓発。
科学。
芸術。
人生を変える本が、世界中で静かに眠っている。
AIは、それらを「翻訳」することはできる。
しかし、「日本の読者に届けるべき本は何か」を選び抜くことはできない。
さらに、日本文化に合わせて編集し、
訳語を整え、
読者の感動へと昇華させる仕事は、
人間の出版翻訳者だからこそ担える。
出版翻訳とは、単なる言葉の変換ではない。
世界の知を、人類の財産として未来へ橋渡しする文化事業なのである。
Plain EnglishとPlain Japaneseの時代
もう一つ、AI時代に重要になるのが、「わかりやすく伝える力」である。
AIは原文を忠実に訳すことは得意である。
しかし、読者が本当に理解できる文章へ書き換えることは、人間ほど得意ではない。
だからこそバベルが長年取り組んできたPlain English、そしてPlain Japaneseは、これからますます
重要になる。
難しい文章をやさしく。
複雑な情報を明快に。
外国人にも高齢者にも子どもにも伝わる文章へ。
これは行政でも、
医療でも、
企業でも、
教育でも、
世界的に求められる能力である。
AI時代は、「書ける人」が評価される時代ではない。
「伝わる文章を書ける人」が評価される時代なのである。
目指すべきは「AI活用出版翻訳者」
これから育成すべき翻訳者像は明確である。
それは、
AI活用出版翻訳者
である。
AIを恐れるのではない。
AIに任せきりにするのでもない。
翻訳文法という土台を持ち、
出版編集の視点を持ち、
Plain English・Plain Japaneseの技術を持ち、
AIを自在に使いこなす。
そのような翻訳者は、世界中から必要とされる。
AIがどれほど進歩しても、
知を選び、
知を編集し、
知を届け、
知を未来へ残す仕事は、
人間の使命だからである。
翻訳をあきらめるな
バベルは創業以来、「世界の知を日本へ、日本の知を世界へ」という使命を掲げて歩んできた。
翻訳とは、人と人を結ぶ仕事であり、文化と文化を結ぶ仕事であり、未来へ知を受け渡す仕事
である。
AIの登場によって、その使命が消えることはない。
むしろ、その使命はさらに大きくなっている。
AIがサポート役となった今だからこそ、翻訳力を備えた人材が必要なのである。
翻訳文法を学び、出版翻訳を学び、英訳にも挑戦し、Plain English、Plain Japaneseを身につける。
そのすべてが、AI時代を生き抜く力となる。
どうか、「AIがあるから翻訳家になれない」と思わないでほしい。
本当に問われているのは、AIの存在ではない。
AIを最高のパートナーとして使いこなせるだけの翻訳力を持っているかどうかである。
世界には、まだ無数の未訳の名著が眠っている。
日本には、世界へ届けるべき知恵と文化が数多く存在している。
その橋を架けるのは、これからの翻訳者である。
だから私は、声を大にして伝えたい。
翻訳をあきらめるな。
AI時代だからこそ、今こそ翻訳を目指すべき時なのである。
一般社団法人 日本翻訳協会 代表理事
バベル翻訳専門職大学院 元副学長
堀田 都茂樹