「新代表理事として
ご挨拶 ― 日本にとっての‘翻訳’とは」
一般社団法人 日本翻訳協会(JTA) 代表理事 堀田 都茂樹
日頃は、日本翻訳協会の活動に対し、ご支援、ご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。
1986年設立以来、日本翻訳協会の活動に対し、ご支援、ご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。
この度、代表理事を拝命いただきました堀田です。就任にあたりご挨拶をさせていただきます。
日本は明治の近代化で翻訳を通して知的な観念を土着化し、だれでも世界の先端知識に触れられる環境を
創ってきました。ひとつ間違えれば、国の独立さえ危ぶまれた明治の日本は当時の英語公用語化論を退け、
翻訳を通じて日本語による近代化を成し遂げました。
明治維新以降、先人、福澤諭吉、西周、森有礼,中江兆民等々が、西欧文化、技術、制度、法律等、日本に
ない抽象概念を数々の翻訳語を創って受け入れてきました。 Societyが社会、 justiceが正義、truthが心理、
reasonが理性、その他、良心、主観、体制、構造、弁証法、疎外、実存、危機、等々。
こうした先人の努力をよそに、今では英語至上主義、企業内の英語公用語化の話題等がマスコミを賑わせて
います。しかし、こうしたグローバリズムに偏った政策は、やがて日本が二流国へと歩む道であることを肝に
銘じたいと思います。
英語による支配の序列構造の中で、第二階層、すなわち、英語を第二公用語として使う、インド、
マレーシア、ケニアなどの旧イギリス植民地諸国、フィリピン、プエルトリコなどの米国占領下にあった
諸国のことです。これらの国はある意味、英語公用語を採用して、二流国を甘んじて受け入れた国と
言えるかもしれません。
最近では日本の東京大学がアジア地域での大学ランキングが昨年までの第一位から六位に転落
(世界では39位)とマスコミでは自虐的論調が聴かれますが、その主たる理由は、授業が英語で行われる
割合が少ない、執筆される英語論文の割合が少ないなどが問題にされているように思います。しかし、
考えてみてください、英語圏以外で先進の学問を日本語、自国言語で学べる国は日本以外ではあるで
しょうか。
一方、あの理想国家といわれるシンガポールの現況は、常に複数の言語を学ばなければならないこと
から始まり、エリート主義による経済格差の拡大、国民の連帯意識の欠如。そして、独自の文化、芸術が
生まれない文化的貧困を皆さんはご存知でしたでしょうか。これこそ、英語化路線の一方のひずみと言える
と思います。
日本は、翻訳を盾に、日本語が国語である位置を堅持して、決して日本語を現地語の位置に貶めません
でした。これは以下の日本語と日本文化の歴史とこれに裏打ちされた利点を考えれば至極当然のことに
思えます。
・6,7世紀ころから中国文明を消化、吸収するに中国文化を和漢折衷で 受け入れ、真名、
仮名、文化を作り上げできた。
・50万語という世界一豊かな語彙をもつ日本語。英語は外来語の多くを含んでの50万語、
ドイツ語35万語、仏語10万語。まさに、言霊の幸はふ国日本。
・古事記、日本書紀、万葉集など、1,000年前文献でもさほど苦労なく読める日本語。
一方、英米 では1,000年まえの文献は古代ギリシア語、ヘブライ語が読めなければ
一般の人は読めない。
・世界200の国、6,000以上の民族、6,500以上の言語の内、50音の母音を中
心に整然と組み立てられ、平仮名、片仮名、アルファベット、漢数字、ローマ数字等多様
な表現形式を持つ言語、日本語。
・脳科学者角田忠信が指摘しているように、西欧人は子音を左脳、母音を機械音、雑音と
同じ右脳で処理、また、小鳥のさえずり、小川のせせらぎ、風の音をノイズとして右脳で
受けている。対して、子音、母音、さらには小鳥のさえずり、小川のせせらぎ、風の音まで
も言語脳の左脳で受け止める日本人。そこから導かれるのか万物に神を読む日本人。
・ユーラシア大陸の東端で、儒、仏、道、禅、神道文化を発酵させ、鋭い感性と深い精神性
を育んできた日本文化。
・「日本語の科学が世界を変える」の著者、松尾義之が指摘しているように、ノーベル賞
クラスの科学の発明は実は日本語のおかげ。自然科学の分野ではこれまで約20の賞を受賞。
アジア圏では他を圧倒。
翻って、最近の世界情勢を見てみましょう。
Brexit(Britain+Exit), 英国の国民投票によるEU離脱の衝撃は、日本、そして世界の経済、政治に大きな
影響を与えつつあることはご承知かと思います。
では、このBrexit以降の世界情勢はどんな方向を示唆しているのでしょうか。
それは、GlobalismからNeo-nationalism (Localism)へ国境を無くし、人の交流を自由化し、市場を開放する
方向から、難民の無制限な移動の制限をし、国家を取り戻す方向へ
ElitismからPopulismへ
国際金融資本家に代表されるエリート主導から大衆主導の時代へ
グローバリストが新自由主義の政策、開放経済、規制緩和、小さな政府、これに基づき世界経済の再編を
進めてきたわけですが、これに異議を唱えたのがこれらの動きと言えます。
今まさに、大きな世界潮流は、ローカル、それもグローカル、開かれたローカリズムの時代に突入しつつ
あるように見えます。
ここにこそ‘翻訳’の存在意義が見いだせます。
個々の自立した文化をお互いに尊重し、そのうえで、翻訳による相互交流を行う、そんな‘翻訳的方法’が
見直されています。
言語は単なるコミュニケーションのツールではありません。言語は使う人の世界観を創り、日本であれば
日本語が日本人の考え方、感じ方、日本社会の在り方までも創り出しています。従って、日本社会の英語化を
安易に進めることは日本のアイデンティティ、強みを破壊する行為とも言えるでしょう。
思いやりや気配り、日本人の持つ鋭い感性や深い精神性は日本語、日本文化のなせる業でしょう。
言語学者、鈴木孝夫氏のタタミゼ効果はご存知かと思いますが、もともとこれはフランス
語ですが、日本語を学ぶと、人との接し方が柔らかくなる、対決から融和に導かれる、日本
語を学んだものがそのように変わると言われています。
ことほど左様に、世界は個々の自立を前提にそのコミュニケーションの新たな方法論として‘翻訳’を
求めています。グローバリズムの誘惑に右往左往せずに、これからの世界における自国語、日本語の意義、
そして、翻訳の意義を堂々と主張したいと考えます。
お互いの文化を尊重し翻訳を通じてハーモナイゼーションを計る、素晴らしい時代の到来です。まさしく
バベルの塔を英語という一つの言語で創ろうとしている特権階級に神は怒り、神は人類に別々のことばを
与え、世界へ散れと言っているかのようです。
多言語、多文化共生世界の入り口に今我々はいるのかもしれません。日本も国家戦略、言語戦略の一環
として‘翻訳’を再考する時代に入ったと考えるべきではないでしょうか。日本翻訳協会は、そんな翻訳に
対する基本認識からスタートしたいと考えております。
今後も、皆様のご理解とご支援、ご協力をお願い致します。
一般社団法人 日本翻訳協会(JTA)
代表理事 堀田 都茂樹
一般社団法人 日本翻訳協会(JTA) 専務理事 小坂貴志
日々、目に入ってくる広告・書評・SNSなどを通して、私たちの身の回りには、翻訳された作品がいかに多く出回っているかを痛感することがあります。出版社の中には、翻訳作品を企画の中心にしているところさえあるくらいです。日本翻訳協会の堀田代表理事は、「日本は明治の近代化で翻訳を通して知的な観念を土着化し、だれでも世界の先端知識に触れられる環境を創ってきました。」と、この背景を端的に述べています。
明治期以降の日本が翻訳で身を立て翻訳立国となった影には、多くの翻訳家(者)たちの存在がありました。しかし、翻訳作業で功績が称えられるのは一握りの人だけで、翻訳作品が脚光を浴びる、翻訳者が別の仕事で有名になる時ぐらいなものでしょう。たとえ翻訳作品が脚光を浴びても、残念ながら、翻訳者が広く世間に知られることはまれです。まるで翻訳者が黒子に徹することを望んでいて、読者や関係者がそっとしておいてあげているかのようでもあります。
私の専門分野である異文化コミュニケーション研究は、当初、国を単位としたコミュニケーション研究が盛んでしたが、異文化のとらえ方が多様・微細化し、今では、個人としての文化も叫ばれるようになっています。国を構成しているのは様々な考えを持った個人であって、最終的には、個人一人ひとりと合って対話しなければ文化は理解できず、その点で、対話は個人にとっての責務とも考えられるほどです。
高度な異言語コミュニケーションである翻訳にも同じことが言え、これまでは国が恩恵を被ってきたという文脈で翻訳が扱われてきましたが、これからは、翻訳作業で得た世界の先端知識を、個々の翻訳者がどのように翻訳以外の形で世に還元するかが問われる時代になってきています。それには、まず書くこと。翻訳作業を通してこなした膨大なリサーチ結果を、今度は自分のことばで改めてまとめて発表する。これは、もはや、趣味ではなく、翻訳者の責務だと考えています。
『ハリーポッター』の翻訳で知られる松岡祐子さんがそうであったように、翻訳本を発掘・提案・翻訳・出版する、という翻訳に関する作業に関して、翻訳者の役割はかなり多様化してきました。今だからこそ、さらに翻訳者のキャリアの幅を広げるという利己的な目的に決してとどまらず、翻訳作業を通して培った知識とライティングのセンスを活かして、それを世に広めることは翻訳者にとっての使命ではないでしょうか。翻訳は利己的であると同時に、他己的にもなりえるのです。
拙宅近くの書店にて、『さみしい夜にはペンを持て』(古賀史健著、ポプラ社)というタイトルの書籍を偶然に目にし、「やられた!」と声を思わず漏らしてしまいました。翻訳者を目指す方々、すでに翻訳を生業としている方々、異文化に新たに誰よりも真っ先に触れた後には、必ずやペンを持って書いていただきたい。かなり二番煎じになってしまいますが、「訳した後にはペンを持て」を合言葉に、これまで国をも潤してきた翻訳で得られる先端知識を、これからは、翻訳者一人ひとりが自分ならではのスタイルで、自分ならではのライティングで、「自分の声で自分の歌を」唄っていこうではありませんか!
私が、専務理事を務める、日本翻訳協会でも、来年に向けて、翻訳者に書いてもらう環境づくり、この機運を盛り上げる様々な企画を用意しているようなので、楽しみにしてください。
-----------------------------------------------
小坂貴志略歴-----------------------------------------------
ノンフィクション・ライティングのノウハウ 概要篇
詳細・お申込みはこちら