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一般社団法人 日本翻訳協会は翻訳の世界標準を目指します。

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世界の翻訳教育事情

英語圏諸国の翻訳者育成・翻訳教育への取り組みを、大学・大学院を中心に紹介いたします。

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世界のおもな翻訳教育プログラム実施大学、機関

アメリカ

Monterey Institute of International Studies

University of Milwaukee

Kent State University

San Diego State University

University of Hawaii

Princeton University

University of Iowa

University of Arkansas

American Translation and Interpreting Studies Association

BABEL UNIVERSITY Professional School of Translation

イギリス

University of Leeds

Imperial Collage London

London Metropolitan University

University of Roehampton

University of Bath

University of Warwick

オーストラリア

University of New South Wales

Macquarie University

University of Western Sydney

University of Queensland

カナダ

University of Ottawa

York University


世界の翻訳教育事情

1.  ビジネス直結型の翻訳教育 −アメリカ

世界経済の大きな中心であるアメリカでは、グローバル企業が集まり、国際ビジネスにおける翻訳の重要性が認識されています。そのためか、アメリカの大学に設置されている翻訳教育コースにはアカデミックな講座は少なく、ビジネス翻訳特化型の講座が目立つ結果となっています。Non-literary Translation(文芸翻訳以外の翻訳)を標榜する大学もあり、中には、講座案内のトップで「本校で翻訳(通訳)能力を磨けば、高収入につながり、ビジネスで大成功する」と高らかに宣言する大学もあるほどです。その背景には、アメリカには翻訳に関する公的資格がないため、例えば大学院の翻訳コースの修了資格が翻訳能力を示すうえで重要性が高いという事情もあるのでしょう。

ビジネス特化型の講座を持つ大学としては、モントレー国際大学(Monterey Institute of International Studies)、ミルウォーキー大学(University of Milwauke)、ケント州立大学(Kent State University)などが挙げられます。(ケント州立大学には、日本語を対象とした翻訳のコースもあります)。国際ビジネスの拡大とインターネットの発展を前提に、翻訳スキルのほか最新の翻訳支援ツール(ソフトウェアや効率化ツール)の活用に重点を置き、ローカライゼーションやターミノロジー、さらには業種特化したコース(リーガル、メディカル、金融、サイエンティフィックなど)も柱のひとつとしており、国際企業やIT企業、TSP会社と協同して翻訳現場でのインターンシップをカリキュラムにいれているのも特色です。翻訳教育の基礎として、英語能力をマスターする重点講座(テクニカルライティング講座など)を設けているのも多民族国家ならではでしょう。

対象言語に偏りが見られるのも、アメリカの翻訳教育の特徴かもしれません。ほとんどの大学では、ヨーロッパ系言語(フランス語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語など)に限定されており、中国語、日本語、アラビア語などの非ヨーロッパ言語を扱っている大学は数えるほどです。ひとつ興味深い点は、大学の所在地に応じて対象言語が必然的に決まっているのではないかと思えることです。例えば、メキシコ国境に近いサンディエゴ州立大学(San Diego State University)では、スペイン語とポルトガル語のみですし、ハワイ大学(University of Hawaii)には当然ながら、中国語・韓国語・日本語の翻訳コースがあります(ほかの言語は対象になっていません)。また、ハワイ(ホノルル)には、バベル翻訳大学院(BUPST: BABEL UNIVERSITY Professional School of Translation)があることも付け加えておくべきでしょう。(BUPSTについての詳細は後述します)。

アカデミックな内容のコースを設けている大学には、プリンストン大学(Princeton University)、アイオワ大学(University of Iowa)、アーカンソー大学(University of Arkansas)などがあります。文芸翻訳中心で、翻訳史や翻訳理論を学びますが、プリンストン大学には、言語移転と文化交流の視点から現代世界における翻訳の意味を探求する講座や、翻訳と脳科学との関連性の研究など、興味深いテーマの講座があります。

プロレベルに達した翻訳者の能力の維持・向上に関しては、ATAやATISA(American Translation and Interpreting Studies Association)などの翻訳者団体が指定する講座・セミナー・ワークショップなどが定期的に実施されていいます。


2.  産学協同でバランスのとれた教育 −イギリス

アメリカと同様、イギリスもEUの英語圏の中心として、国際ビジネスに果たす翻訳の役割は重要視されています。国内の大学や大学院に設置されている翻訳教育コースでも、アメリカほどではありませんがビジネス特化型の講座が目立ちます。もちろんアカデミックな講座や総合的な翻訳能力を伸ばすことを目的としたコースもあり、翻訳団体と教育機関、産業界がうまく連携を取って総合的かつユニークな翻訳教育を行っている印象を受けます。

ビジネス重視の翻訳学習コースを設けている大学としては、リーズ大学(University of Leeds)、インペリアルカレッジ(Imperial Collage London)、ロンドンメトロポリタン大学(London Metropolitan University)、ローハンプトン大学(Roehampton University)などがあります。例えばローハンプトン大学は、「ロンドンこそ世界の翻訳の中心地」と宣言して実務翻訳者育成のニーズに特化しており、理論・実践・現場での実習をバランスよく配分し、コンピュータ、ソフトウェア、AV機器などの学習支援環境が充実しています。またリーズ大学では翻訳スキルと同時にプロジェクト管理などのビジネススキルも身につく講座が用意されており、映像翻訳(DVDやウェブなど)の講座では編集や要約といった現場の実務に直結する総合的な能力が身につくようになっています。

対象言語はヨーロッパ系言語が中心ですが、アメリカと異なり、各大学とも日本語などのアジア系言語を含む10以上の幅広い言語に対応しています。非英語圏からの留学生にも配慮されており、バース大学(University of Bath)には、本格的な翻訳学習の前に、個々人のレベルに応じて英語スキルを伸ばすための準備コースがあります。

アカデミックな内容に特化した大学には、後で紹介するウォリック(ワーウィック)大学(University of Warwick)がありますし、エジンバラ大学(The university of Edinburgh)にも翻訳の総合コースがあります。

また、かなりの大学が翻訳者団体ITIとの連携をうたっており、ITI(英国翻訳者・通訳者協会)のホームページにも、翻訳コースを設置している大学へのリンクが掲載されています。

一方、実務レベルでの翻訳能力の維持向上に関しては、CPD(Continuing Professional Development)トレーニング(*当協会のホームページ「世界の翻訳資格、3.イギリスのITI会員資格」の内容を参照ください)」の対象となる講座やセミナーが定期的に実施されています。また、能力や経験がプロレベルに達していない「プロ翻訳予備軍」や翻訳者を目指す学生の教育育成に関しては、ITIがユニークな試みをしています。「世界の翻訳資格事情」でも触れましたが、ITIでは会員向けに、ITI Professional Support Group (PSG)とITI Orientation Courseというふたつのオンライン講座を設けています。前者は、フリーランスを目指す実務経験の浅い翻訳者を対象に、能力の高いITI会員グループ(8名構成)が自らの経験を踏まえながら実践的なスキルを教育します。後者の対象はプロの翻訳者を目指す大学生・院生や卒業生で、やはりベテランのITI会員が4人でオンライン指導を行うというものです。いずれのコースも、CPDトレーニングの対象となっています。


3.  国際貢献を担うプロ翻訳者の育成 −オーストラリア

米英とは異なる視点から、国家を挙げて世界標準の翻訳者教育を実施しているのがオーストラリアです。NAATIの資格認定を中核として、各教育機関がNAATI認証の翻訳教育コースを設置し、総合的な翻訳能力を持った人材の育成に取り組んでいます。もちろんビジネス的な視点も含まれていますが、重視されているのは翻訳実務のプロとしての矜持と高い倫理意識を持って仕事に取り組み、国際社会に貢献できる翻訳者を生み出すことです。

オーストラリアで翻訳者教育を担うのは、大学・大学院と、各種職業能力の習得を目的とする専門学校TAFE(Technical and Further Education)です。TAFEには様々な職種の専門教育コースが用意されており、国内最大のSydney Institute of TAFEには、職種別に800以上のコースがあります。ただ、2007〜2008年度のNAATI認証コースを見る限り、TAFEには翻訳よりも通訳の教育コースが多いようです。

大学・大学院でも、NAATI認証コースは充実しています。ニューサウスウェールズ大学(University of New South Wales)、マッコーリー大学(Macquarie University)、ウェスタンシドニー大学(University of Western Sydney)、クイーンズランド大学(University of Queensland)などに、複数の翻訳教育コースが設けられており、ニューサウスウェールズ大学には、その名も「NAATI通訳・翻訳試験対策」(NAATI Test Preparation in Interpreting and Translation)というコースまであります。全体的に見て、アカデミックなテーマのコースは少なく、NAATIの資格認定(特にProfessional Translator)に特化した総合的な翻訳能力を養成するコースがほとんどです。翻訳の理論・実践のほか、リサーチ技術や倫理規範、ビジネススキルを含めたプロの翻訳者としての総合力を高めます。

多くの言語がNAATIの認定資格対象になっていることに対応して、教育の対象言語も多岐にわたっています。前述のニューサウスウェールズ大学のNAATI試験対策コースは、日本語を含むアジア系言語10、ヨーロッパ系言語11の計21言語を対象にしています。歴史的・文化的には欧米とのつながりが深く、地理的にはアジア圏と接しているオーストラリアの特異な位置付けを反映していると言えるでしょう。

現場の実務レベルでの翻訳者能力の維持・向上に関しては、「世界の翻訳資格事情」で触れたNAATIのRevalidation(資格更新)に伴うPD(Professional Development)研修が中心となります。もうひとつ、オーストラリアの翻訳教育で特筆すべきことは、翻訳者や通訳の教育訓練者を育成しようという動きです。マッコーリー大学では2009年度から、翻訳・通訳の教育経験がある人材を対象とした教育学コース(Master of Translation and Interpreting Pedagogy)など2コースの専門職を養成しようとしています。この動きは、ぜひ日本の翻訳教育にも取り入れるべきものと思います。


4.  翻訳能力が必須の国内事情 −カナダ

オーストラリアと同じ英連邦に属するカナダですが、国内の言語環境には大きな違いがあります。英語とフランス語というふたつの公用語を持つ内部事情から、最初から国内で翻訳(英仏・仏英)が重要なファクターとなっていたわけです。そのため、英語とフランス語間の実務翻訳(特にリーガル翻訳)が非常に重視されており、そのことが翻訳教育の現場にも反映されています。また、CTTIC(カナダ翻訳者協会)は21世紀の世界の翻訳をリードするという高い理想を掲げて、カナダの翻訳者のレベルアップをはかろうとしています。

カナダの大学・大学院にも、翻訳教育コースは多数設置されていますが、英語よりもフランス語が主体の講座が多いようです。その中で、オタワ大学(University of Ottawa)とトロントのヨーク大学(York University)に英語の翻訳教育コースがあります。それぞれ特徴的な講座内容です。

オタワ大学のコースはビジネス特化型で、リサーチスキル、ターミノロジー、コンピュータなどの支援ツール活用などに加え、実務レベルのワークショップやセミナーが充実しています。さらに、カナダの特性を反映した英仏リーガル翻訳の特化コースもあります。修了生は、公的機関でも民間企業でも、リーガル翻訳者やリバイザーとして引く手あまただということです。

一方、ヨーク大学のマスターコースは、異文化コミュニケーションをキーワードに翻訳の意味を探求するアカデミックなコースです。世界を結びつけるキーファクターとして翻訳をとらえ、多彩なカリキュラムが用意されています。翻訳作業への認識論的アプローチや、中国文学の翻訳を題材に、西洋言語と非西洋言語の間の翻訳を理論と実践の両面から検証するなど、ユニークな講座もあります。


ここまで、英語圏諸国の翻訳教育の状況を紹介してきました。では、日本の現状はどのようになっているのでしょうか。これまで見てきた各国事情と比較しつつ、日本の状況を考えてみたいと思います。

本稿を書くに当たっては、世界の大学・大学院に設置されている翻訳者・通訳養成コースを網羅的に紹介しているサイト、Lexicool.comのTranslation and Interpreting course directoryを参照しました。ここには、翻訳・通訳講座を設けている世界46カ国の大学・大学院が一覧になって紹介されていますが、Jの項目を探してもJapanは見つかりません。アジアでは中国、韓国をはじめインド、タイ、ヨルダンなどが掲載されているのに、日本がないとは寂しい限りです。このことが、日本の翻訳教育の現状を端的に表しているのではないでしょうか。

現時点で、日本人が日本語で本格的なトップレベルの翻訳教育を受けることができ、学位を習得できるのは、バベル翻訳大学院(BUPST: BABEL UNIVERSITY Professional School of Translation)のみだと言えます。インターネットによる講座という利点を生かし、在籍する院生は日本ばかりではなく世界のどこにいても受講できますが、本来はアメリカ国籍の大学院で、日本の文部科学省の認可を受けているわけではありません。BUPSTは2000年、世界初のインターネットによる翻訳大学院としてアメリカ、ハワイ州に設立され、2002年にはアメリカ最大の教育品質認証機関DETC(The Distance Education and Trading Council)の認証を受けています。専攻を下記の4コースから選択でき、文芸翻訳からビジネス翻訳まで幅広いジャンルで翻訳能力を身につけることができます。実務的なビジネス重視のアメリカ型翻訳教育のカテゴリーに近く、国際社会で翻訳ビジネスを担える総合的な能力を持つ翻訳者を育成するのにふさわしいカリキュラムだと思います。

<BUPST 専攻コース>

  • 第1専攻:文芸翻訳専攻
  • 第2専攻:金融・IR翻訳専攻
  • 第3専攻:特許・技術・医薬翻訳専攻
  • 第4専攻:インターナショナル・パラリーガル法律翻訳専攻

残念ながら、日本では英語圏各国のような政府と産学協同の取り組みも大きな進展が見られず、国内の大学・大学院で翻訳の専門教育・研究を行っている所はほぼ皆無というのが実情でしょう。

とはいえ、拠点さえあれば、そこから勢力を拡大することはできます。インターネットを通じて世界どこからでも受講できるという利点を生かして、BUPSTから巣立った世界レベルの翻訳者たちがProfessional Translatorとして世界の中の日本の翻訳者の中核となって活躍していけば、日本の翻訳教育の裾野も拡大していくことでしょう。

(社)日本翻訳協会の認定校、バベルプレス発行 「The LEGAL.COMM 2008年11月号」の記事より抜粋